南相馬の味

南相馬市の原ノ町駅の駅裏にあるお店です。周囲は真っ暗で、人通りもなく淋しい一角でしたが、満席でした。一度は諦めて他の店を探しましたが、閑散とした街並みで何もないので、戻って待ちました。
席に案内されてからも期待はしていませんでした。でも料理が運ばれてからは、評価は一転しました。関西風の薄味でみんなに大好評でした。スタッフの女性にボランティアに来た事や、阪神大震災の話をすると涙ぐんで聞いてくれました。心まで暖かくなり、次に来た時も訪れようと思いました。雪の季節が終わればボランティア再開です。
まぼろしの銘菓?

南相馬市の道の駅で販売していましたか、在庫分だけで生産は中止されました。天然の塩水を使用していたものが、原発の汚染により海が海使えなくなったそうです。こちらではわからないところで、様々な被害が出ています。
飯館村の被曝

同行の竹原がガイガーカウンターを持参してくれました。0,3μシーベルトを越えるとアラームが鳴りますが、画像のように20倍以上の7を越して、なりっぱなしでした。恐ろしいほどの量で、帰村されている一部の方の健康が心配されます。
当然、全ての田畑は放棄されて一面のススキ畑になっていました。先祖代々、苦労して耕し続けてきた田畑が原発事故で無に帰しました。
南相馬市に到着

事故や火事に巻き込まれて、15時間かけて、ようやくたどり着きました。もう全員ヘロヘロでした。すぐに昼食にしようと、近くのファミレスに行きました。活気も前回とは比べ様もないほど出ていて、何よりも嬉しく思いました。それ以上に感激したのは、人との出逢いでした。ファミレスの待ち合いで、前回に避難所で会ったおばあちゃんとばったり出会った事です。避難所も解消して会えないと思っていただけに、手を取り合って喜びに浸りました。今度は住所交換もして、連絡を取り合う約束をしました。いきなりのサプライズで疲れもぶっ飛びました。
被災地にむけ準備中
いよいよ来週の金曜日は福島県へ出発です。気候も急激に秋へと進み、持参する作業服だけでも悩んでしまいます。先方との連絡も、お互いの多忙の中、不自由で困っています。救援物資も揃いきらず、イライラが募っています。幸い同行の後輩が購入したばかりの新車を提供してくれますので、旅は快適になりそうです。
避難所からの脱出
南相馬市の避難所で知り合った女の子が、ようやく借り上げ住宅に引っ越ししました。南相馬市では、今月中に避難所を解消する予定で、一部の方を除いて移転されるようです。
これから先のボランティアも、かなり変化するでしょう。何はともあれ不自由な避難所生活から脱出できて、ホッとしています。
来月、南相馬市に行ったら会えるのが楽しみです。
これから先のボランティアも、かなり変化するでしょう。何はともあれ不自由な避難所生活から脱出できて、ホッとしています。
来月、南相馬市に行ったら会えるのが楽しみです。
再度、被災地へ!!
来月の連休を利用して、後輩夫婦と一緒に南相馬市へ行く事になりました。
今月中に仮設住宅が完成する予定で、避難所もなくなっていると思います。今回は震災により、行き場のなくなったペットのためのシェルターの援助が目的です。
事前の調査で、ペットのトイレ掃除を依頼されたボランティアから、苦情が出たとの情報もありました。地元で不足している部分を補うのがボランティアなのに、仕事に不服を言うとは…。全くの勘違い人種ですね。日本のボランティア活動とは、未だにこの程度かと情けなくなります。上から目線の自己満足が、なんと多い事でしょう。
詳しくは現地からアップします。乞う御期待!
今月中に仮設住宅が完成する予定で、避難所もなくなっていると思います。今回は震災により、行き場のなくなったペットのためのシェルターの援助が目的です。
事前の調査で、ペットのトイレ掃除を依頼されたボランティアから、苦情が出たとの情報もありました。地元で不足している部分を補うのがボランティアなのに、仕事に不服を言うとは…。全くの勘違い人種ですね。日本のボランティア活動とは、未だにこの程度かと情けなくなります。上から目線の自己満足が、なんと多い事でしょう。
詳しくは現地からアップします。乞う御期待!
被災地点描 10
被災地点描 9
前回と同じ場所ですが、海岸の方向に向いての撮影です。一番奥が海岸線ですが、ほとんど何も残っていません。1キロ以上の間に荒地のみが目に入ります。パトカーが1台通り過ぎましたが、犯罪の警戒のようです。こんなになっても、犯罪が起こるのは悲しいですね。
被災地点描 8
被災地点描 7
防災情報マップ
被災地点描 6
被災地点描 5
南相馬市の渋佐と言う地区での画像です。この地点に着く50メートル手前まで普通の町並みでしたが、ここから先が一面の荒地になっていました。偶然ですが、南相馬市のホームページにもこの地点の写真が掲載されていました。実際に見た時は、言葉を忘れて呆然と見渡すだけでした。自然の力には、人間は無力でした。
被災地点描 4
皆さんも報道でよく見られた光景ですが、目の前の田んぼにいきなり漁船が現れると驚きます。いずれは引き上げて再利用するそうですが、地盤が軟らかい上に重量があるので、なかなか回収出来ないとのことです。復興どころか復旧にもまだまだ時間がかかりそうです。
被災地点描 3
被災地点描 2
被災地点描 その1
南相馬市のボランティアセンターでも、被災者の立場に立って写真撮影は控えるようにとの指示がありました。私自身も阪神大震災で興味半分で撮影された経験から、撮影は極力控えていました。しかし、現地の方から現状を映像で知らせて欲しいとの意見を沢山いただきました。初めて被災地を見た時は、ただ呆然とするばかりで、撮影どころではなかったのが正直な感想です。どこまで伝えられるか判りませんが、これから少しずつ掲載していきます。被災地の苦悩を推察いただければ幸いです。
今回の画像は仙台市南部ですが、ガレキに埋もれたままの状態です。仙台市中心部から車で5分ほどのところですが、このような現状が多く見られます。
ボランティア基地
以前から親しくしていただいている、高座の滝の大悲閣さんに行ってきました。
オーナーの梅本さんご夫妻と息子さんご夫妻も交えて、南相馬の報告をしました。
そんな中、阪神大震災の話になり、大悲閣さんがボランティア基地として学生さんに場所を提供されたと伺いました。
本来のボランティア活動が定着しにくい日本で、よくぞそこまで思い切られたと、心から感服いたしました。
オーナーの梅本さんご夫妻と息子さんご夫妻も交えて、南相馬の報告をしました。
そんな中、阪神大震災の話になり、大悲閣さんがボランティア基地として学生さんに場所を提供されたと伺いました。
本来のボランティア活動が定着しにくい日本で、よくぞそこまで思い切られたと、心から感服いたしました。